ラブコール

生きる・はたらく・表現する

『計画と無計画のあいだ』はじぶんらしく生きる人の応援書でした。

 「分岐点」というものに関心を持っていた時期がありました。人が何かを選択するとき、決断するとき、どんなことを考え感じているのだろう。そのことがとても知りたいと思っていました。そして実際に、私は少し前に分岐点に立っていました。そのことについて書こうと思います。

 

じぶんの道を選ぶ

退社を決めたあの日から世界がきらきら輝いて見えるようになった

目の前には驚くくらい前日までと違う光景が広がっていた。目にする草木はもちろん、空気さえもキラキラと輝いて目に飛び込んでくる。自転車では何度となく通っても特に何も感じることはなかった都内の道も、急にいとおしく思えてくる。 

 これはミシマ社代表の三島邦弘さんがミシマ社について書いた本『計画と無計画のあいだ「自由が丘のほがらかな出版社」の話』の中で、勤めていた会社を辞めて出版社をつくることを思いついたときを振り返って書いているものです。

 

 

 会社を辞める、というときは経済的に準備が整い、次の仕事を決めてからやめなければいけないとずっと思っていました。私はそのどちらも整わないまま辞めるのだけれど、辞めるという決断をしてからずいぶんとスッキリしました。ずっと辞めたかったし、もうじぶんを偽って合わないものに合わせようとする必要がないんだ、と思い、まだ見ぬ未来の可能性と自由さを思いました。あの日から私の目に映る世界はきらきらと輝いたものになりました。

 三島さんの本を読んで、その私の体験は私に固有のものではないと知りました。じぶんの生きる道をみずから選んだ人たちはきっと誰もが経験するのだろうと思います。三島さんはこう続けます。

そしてぼくはやがて気づく。これは、なにも特別な景色ではない。むしろ、こっちがふつうなのだということを。(中略)出版社をつくると決断した瞬間、ぼくは世界とのつながりを回復した。

私にとって会社はじぶんが正直に生きられる場所じゃなかった

 三島邦弘さんは、ミシマ社をつくる前に会社に勤めていたじぶんを形容して「失語症」という表現を使っています。

見事なばかりに水が合わず、(中略)退社直前のころは、失語症みたいになっていた。

 私にとって会社とはじぶんが正直に生きられる場所ではありませんでした。正直に生きようとすると必ず摩擦が生じてしまう。それをなんとかしたいと思ってもがこうとするけれど、いっそうぎくしゃくしてしまって、伝えたいことはあって一所懸命伝えようとするのに相手に伝わっている感覚がまったくしない。疎外感を感じ、もやもやとした思いが募る日々でした。

 だから、会社の外で人と「分かり合える」という体験をしたとき、ものすごくうれしかった。生きている感覚がして、私はこの世界に生きたいと思いました。そして会社を辞めることを決断し、三島さんが言うように「世界とのつながりを回復」するのです。

みずからを縛っていたじぶんに気づいた

 振り返ると、会社勤めをしていたころの私はずいぶんと「~ねばならない」「~べきだ」という観念に縛られていたように思います。「次の段階への準備が整ってから会社は辞めなければならない」「子どもがいるなら教育費などを計画的に積み立てなければならない」など、誰に言われたわけでもないのに、じぶんでじぶんを縛っていました。

あのとき、知らず知らずにつくっていた自分を封じ込めている檻を、自身の手によって壊したのかもしれない。そして檻の外に出て初めて気づいたことがある。それは、「決め事」という檻は自分を守るためにあったわけではないということだ。守るどころか、実際には、その中でぼくは生きながらにして死んでしまうところだった。誰に課せられたわけでもなく、自らがつくった檻の中に自らを閉じ込めて。

 私たちは無意識のうちにがんじがらめになっています。 レールに乗って生きねばならない、安心や安定を手に入れて堅実に生きなければならない、それこそが大人だ、そんな無意識な刷り込み、思い込みが私にもありました。

システムが担保する安定と保障というものたちは、虚構にすぎない。(中略)安定など幻想でしかないのは明らかだ。

 私は会社を辞めたことで安心や安定を捨てたと思っていました。でもそうじゃなかったんだ。あると信じていた安心や安定は「虚構」であり「幻想」でしかないのだと。自分ではないほかの誰かがそう断言してくれていると知り、大いに腑に落ちるとともにうれしかった。私はこの先ずっと、心の底からじぶんの選択を肯定し続けると思います。

先人に学ぶ

100年先を見通す

 ここまでは、三島さんの文章に共感したお話。でも三島さんと私が違うのは、私はまだ何も成し遂げていないということ。そんな「これから」な私にとって、三島さんの本は学びの多いものでした。たとえば、この本を読んで感服したことがあります。

まずは100年つづけるためにはどうすればいいか。

 このフレーズを読んだ瞬間、すごいな~と心から感服して尊敬の念がため息としてこぼれました。目先の利益追求などではなく、長い目で見て考える。そういえば、そうだよな。私が会社を辞められたのも、長期的な視点で人生を考えたことが大きいです。人生100年時代と言われる今日、目先の生活だけに追われて日々を消費しつづけて、果たしてそれでよいのか。もっと長い目で見て大きく捉えることが大切ではないのか。この視点が選択を後押ししてくれました。

 三島さんがミシマ社を設立したのは2006年だったので、2106年のミシマ社を思い描いたそうです。そして、その100年後になっていたい理想を実現するにはどうするか。

「できるだけ小さな規模」で運営していく

 また感服のため息がこぼれました。規模が大きくなると、その分だけひとりひとりの持つ熱意や関わるものに対する責任感がどうしても薄れがちだなと経験を通して感じてきました。ひとりひとりが「自分事」として目の前のことに取り組むためにも規模を大きくし過ぎないということは大きな作用をもたらすのでしょう。私は会社を辞めると決め、方向性はなんとなく定まっているものの、具体的なことはまだ何も決まっていません。学び、考え、行動するときにこの視点を私も忘れずに持っていたいと思います。

人間を信じる

 ミシマ社の方針はかっこいい。出版社としての目標を前述のように「規模」におかず、「一冊入魂」で勝負すると。

ターゲットを設定しない。人間を信じる。

 世の中はマーケティングであふれています。私はそのことに対して無知だけど、売上を上げるためにターゲットを設定して顧客の求めるものを提供する、ということだと理解しています。私はいままでそういう考え方をあまりしてきませんでしたが、「ひらく図書室」をはじめるにあたって、必要なことなのかなと思って考えたりもしました。でも、なんだかしっくりこない。そのままうやむやにしていたけれど、この1行を読んでこれだ!と思いました。

本質的に面白いものは、世代や性別や時代を超える。

 人と付き合うとき、世代や性別や時代を参考にはするけれど、いちばん大切なのは目の前にいる人がどういう「人間」なのかということ。だったらターゲットは人間すべてでいいじゃないか。たとえ相手が何歳でも性別が何であろうとも生きている時代が異なっていようとも、その人が何を考えてどうやって生きていてどういう人間なのかに興味があります。そういう姿勢で人と付き合っていきたいし、「ひらく図書室」でも「のべおか読書会」でもその姿勢は貫きます。

「どうしたら喜んでもらえるか」

「どうしたら売れるか」ではなく、「どうしたら喜んでもらえるか」という問いをたてること。(中略)ものづくりの原点はあくまでも、「喜び」を交換することにあるはずだ。

 じぶんで仕事をつくる、と言ったときに、「ビジネス」というものが頭に浮かびます。ということは、何かを売って代わりに何かを得るということか。じゃあじぶんが売りたいものはどうやったら売れるかな。多くの人はそう考えがちです。私もそうでした。でもそうじゃないんだ。根本として「相手を喜ばせたい」という精神を持っていると自分も相手もたのしいだろうな。そっか、それが愛を持って生きるということなのかもしれない。私が尊敬するあの人も大好きなあの人も愛に満ちている。「無私」であることはむずかしいことだと思い込んでいたけど、「どうしたら喜んでもらえるか」と考えることなら私にもできそうだし、すごくたのしそうだな。

じぶんの感覚を信じる

 私は会社員を辞めるけれど、先のことが決まっていません。なのに、不思議と不安があまりないです。期待感やわくわくがいっぱいあって、希望に満ちています。なんでなんだろうな、と不思議に思っていました。そんな私を三島さんが肯定してくれたように思います。

いま、この瞬間、どうしても動かなければいけない。そういうときが人生のうちに必ずある。その瞬間、理屈や理性、計画的判断といったものを超えて動くことができるかどうか。

 そっか、私にとって、会社を辞めると決めたときがその瞬間だったのだな。自由に、感覚にしたがって、たのしんで生きている方がこの日本にいらっしゃるんだな。そう思ったら勇気と力が湧いてくるようです。

もともと人生なんて初めての連続ではないのか。

 私には2歳の息子がいます。息子といっしょにいると、私もいままでたくさんの「はじめて」を積み重ねて生きてきたことが分かる。だったら、31歳になったいまもはじめてに挑戦してみよう。わくわくする気持ちを携えて、たのしく生きよう。

 

 『計画と無計画のあいだ』は私にとって、少し先にじぶんらしく生きることをはじめた人からの人生の応援書でした。読み物としてすごくおもしろいのでぐんぐん引き込まれて読み進めてしまうし、心から人におすすめしたい1冊です。ミシマ社の本をもっと読みたいし、いつか三島邦弘さんにもお会いしたいなと私の夢がまたひとつ増えました。