ラブコール

生きる・はたらく・表現する

「半農半X」をはじめませんか。

より良く生きたいあなたへ

 より良く生きたい、だけどその方法が分からない。もっとじぶんらしく生きられないものか。あなたはそう思ったことはありますか。

 同級生やあるいは同期などライバルと競争することに疲れたとき、大きな組織の中で生きづらいじぶんに気づいたとき、生きるためにお金を稼いでいるはずなのにお金を稼ぐことが目的になっていることに気づいたとき、消費の徒労感に襲われたとき、じぶんのしていることが環境や次世代に良くないかもしれないと気づいたとき、これってずっと続いていくのだろうかと疑問を持ったとき…。

 これはすべて私自身が経験したことです。そのたびに、より良く生きたいものだ、と思い、同時にでも方法が分からないや、と諦めたり逃げたりしてきました。

 誰もが持っている「良心」、それを大事にしながら他者を、あるいは自然や環境まで大事にする方法を模索する、そんな方法があるのだよ、と具体的な方法のひとつをこの本は提示してくれます。

半農半Xという生き方【決定版】 (ちくま文庫)

半農半Xという生き方【決定版】 (ちくま文庫)

 

 

半農半X」ってなに?

 あなたは「半農半X」という言葉を聞いたことがありますか。私は知りませんでした。4月に入塾した、非電化工房主催「地方で仕事を創る塾」で藤村靖之先生が少し触れていたことと、最近読んだ池上惇『文化資本論入門』に出てきて知りました。要するに、

小さな農業で食べる分だけの食を得て、ほんとうに必要なものだけを満たす小さな暮らしをし、好きなこと、やりたいことをして積極的に社会にかかわっていくこと

です。

なぜ「半農」なのか

なぜ農業なのか

ひとつは個人的な問題です。より良く生きたいと考えたとき、私の場合、そこには好きなことややりたいことのうち本来的に良いことをして無理せず生きたいという思いが含まれます。そうなると、多く稼ぐことはむつかしそうです。そもそも多く稼ぐことに対する徒労感と向いてなさを感じてしまいます。そこで、前述の願いを達成するには、自給力をつけるのが良さそうだという結論になり、自然と農業にたどり着きます。

もうひとつは社会的な問題です。問題を他者に広げ、社会に広げ、あるいは次世代の社会に広げて考えたときに、持続可能性(サステナビリティという視点が欠かせません。持続可能性とは、

生物資源(特に森林や水産資源)の長期的に維持可能な利用条件を満たすこと。広義には、自然資源消費や環境汚染が適正に管理され、経済活動や福祉の水準が長期的に維持可能なことをいう。(コトバンクより)

です。つまり、じぶんたちのしていることは次世代にとってあるいは自然界にとっても良い影響を与えるものかという問いを持つことだと私は思います。いまの私は持続可能性について偉そうに語ることはできません。語るようなことを何もしていないからです。ただ、持続可能性という視点が欠かせないこと、それを考えたときに農業に携わることが良さそうだということは直感的に分かります。

なぜ「半農」なのか

とは言え、専業で農業をするということはむつかしそうです。まったく農業の経験がない人がいきなり農業で食べていこうというのはちょっと考えにくい。でも、一日のうちたとえば半分の時間でも農業に割き、じぶんたちが食べる分だけ生産する、と考えるとそれならできるかもと思える。じぶんたちが食べる分だけで良いのなら、より良い方法で、たとえばなるべく農薬を使わないといったことに挑戦してみようかとも思う。そういうわけで「半農」なのです。

「足るを知る」ということ

自給力をつけて無理のない範囲で稼ぐとなると、必然的に小さな暮らしをすることになります。これまでの消費生活を見直し、価値観の転換を図る必要があります。いわゆる「足るを知る」ということです。でも無理はしないこと。じぶんたちにとってほんとうに必要なものは何か、何があれば満たされるのか、知る作業でもあります。「足るを知る」ということは身の丈に合った生活をするということです。最初に書いた、消費生活への徒労感を捨て去るということ。ここに半農半Xの神髄がある気が私にはします。

「ないものねだり」から「あるもの探しへ」

では、「半X」とは何か。X=天職(calling)です。それは好きなことかもしれない、やりたいことかもしれない、できることかもしれないし、求められることかもしれない。あるいはそれらすべてを兼ね備えたものかもしれません。人生はX探しなのかもしれません。そのときに必要なのが、「なりものねだり」をせずに、「あるもの探し」をするということ。

特に私のように現代の田舎に住んでいると、都市部あるいは都市に隣接した田舎だけが持つ側面にばかり目がいき、ここには何もないと考えがちです。そこは発想の転換が必要です。本書に出てきた文章で大いにうなずいた部分を引用します。

金が第一義の経済活性化では都市の豊かさしか見えず、地域は「ないものねだり」をするしかないが、金以外の自然風土、生活文化、コミュニティ、金にあくせくしない生き方など、地域に多様にあるものの価値に目を向け、掘り下げれば、地域固有の豊かさが見えてくる。

これは農文協『増刊現代農業』編集主幹の甲斐良治さんが書いた文章だそうです。「半X」探しだけでなく、まちづくりにおいても大事な視点ではないでしょうか。

「自己探求」の観点からのまちづくり

 この本の著書・塩見直紀氏は「自己探求」の観点からのまちづくりがしたいと書いています。この視点は私にとって地元のまちづくりに一市民として関わるために大きな示唆を与えてくれました。まちづくりとは、市民ひとりひとりがじぶんの生き方を改めて問い直すことがいちばんの近道なのではと私は思い始めています。

まずは家庭菜園から

少し話がそれましたが、まずできる範囲で「半農」の一歩を踏み出したいと思っています。あなたもいっしょに家庭菜園をはじめませんか。私は今回、プランター栽培ではなく、実家の庭を借り、土を耕して石灰をまくところからはじめるつもりです。いきなり「半農半X」を完全に行うことはできなくても、できるところから無理なく取り入れてみるのはいかがでしょうか。

 

www.hidenka.net

文化資本論入門 (学術選書)

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