自分を嫌いだった私が自分を好きになったワケ
- 外見が美しければ自分のことを好きになれるか?
- いつも問いを投げかけてくれた先生との出会い
- ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在
- 人並みにできるという成功体験
- 大事なものを選び、それ以外を捨てた
- 好きなことをする=納得して生きると決めた
- 自分を好きになるのに必要なこと
外見が美しければ自分のことを好きになれるか?
みなさんは自分のことが好きですか?
いま31歳の私はけっこう自分のことが好きです。私はとても太っていて見た目が良いとはお世辞にも言えないし、バツイチでいまのところパートナーもいないし、収入だってほんとに少ないです。でもいま割と自分が好きです。
10年前、21歳だった私は自分のことが嫌いで自分に自信がまったくありませんでした。いまの私に比べたらとってもスレンダーだったし、恋人だっていたし、国立大学の学生だったのにです。
たぶん、自分を好きでいられるかどうかに外見はあまり関係ないです。いえ、絶対ではないですよ。価値観はそれぞれなので、美醜へのこだわりが強い方にとっては外見はすごく大きなものなのかもしれません。少なくともいまの私にとっては、外見はあまり重きを置く価値ではありません。
自分が嫌いだった私がなんで自分を好きになったのか?今日はそのことを書きたいと思います。
いつも問いを投げかけてくれた先生との出会い
物心ついた頃から私は劣等感の強い子どもでした。その傾向は思春期を迎えるとますます強くなりました。自分に対する自信のなさ、自己肯定感の低さ、人と比べて劣等感を感じるところ。それはもういま振り返ると病的と言っていいほどのものでした。
それがいつ変わり始めたのだろう?おそらく3年前、28歳の頃からかなあと思います。27歳ではじめて正社員として就職をして1年が経った頃です。なあんだ、私は人並みにいろんなことをやればできるんじゃないかと少しずつ自信が出てきていました。
しかし振り返ると、就職よりもっと前に、私が変わり始めた原点があったように思います。
2012年、25歳のときに私は地元・延岡に帰ってきました。帰りたくて帰ってきたのではありません。他にどうしようもなくて仕方なく、とりあえず帰ってきたのでした。当時の私は定職に就いていず、自分が人並みに働くことができるとも思っていませんでした。人とのコミュニケーションもうまくできなくて、口ごもってばかりいたように思います。
そんな私を心配した両親が、いまでも尊敬しているU先生に引き合わせてくれます。先生は、それまで私が出会ってきたどんな人とも違っていました。賢くて自分がある人(というだけではもちろん先生のことを説明することは到底できませんが)というのは先生のような人のことを言うのだと私は感じていました。
その先生とはいまは疎遠になってしまったのですが、先生と出会ってから1年ほどの間はとても密な関係を築かせていただきました。個人的に相談に乗っていただいたり、先生が主催する集まりに呼んでいただいたり、先生のご家族や教え子といっしょに食卓を囲ませていただいたこともありました。
先生には口癖がありました。誰かの話を聞いたあと、本を読んだあと、映画をみたあと、必ず先生は私に「君は何を考えた?」と問いました。久しぶりにお会いすると、「最近は何を考えていたの?」と問うのです。その度に私は自分の考えをまともに言うことができずに口ごもってしまうのでした。先生は、私に「問いを持つ」ということを教えてくれたのです。
このことは後の私にとてつもなく大きな影響を与えました。何をするにも自分の中に問いを持つ習慣がこのときできました。自分を好きになることは自分の考えをハッキリ持つことと無関係ではないと私は思います。問いを持つことが、自分の考えをハッキリさせる第一歩なのです。
ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在
同時期、もう一人、いまも私が恩師と慕う人に出会いました。これも両親が引き合わせてくれた出会いです。その人は私に余計なことは聞かず、訪ねていく私をいつも笑顔で迎えてくださり、優しく包んでくださりました。
その人がかけてくれた言葉でいまもしっかりと覚えているものがあります。当時から私は文章を書くことが好きでした。知性に溢れる随筆を書く大学の先輩や、ユーモア溢れたコラムを書く同世代の人たちを横目に見て、コンプレックスをいっぱいに抱えながら、私もこんな風にかけたらなあと思っていました。そんな私にその人は言いました。「書いてみたらいいじゃない?こうやって立ち止まっているあなたの考えていることを知りたいと思う人はきっとたくさんいるわ。」
その言葉はそのときの私にとって確かな力を持っていました。書こうと思っても何も出てこないほど自分が空っぽだと知っていたけれど、それでも一行でもいいから文章にしようと心がけ、ブログをはじめたのはその頃です。その人はありのままの私を受け入れてくれた人でした。
人並みにできるという成功体験
こうして、問いを持つ習慣とありのままの自分を受け入れてくれる人の存在を手に入れた私は少しずつ前向きに歩み始めました。短時間のアルバイトからフルタイムの正社員に挑戦したのもそのひとつです。
この会社に私は4年ほど在籍しました。その間、本当に恵まれた環境にいさせてもらい、まず私も人並みに働くことができるのだという自信をつけさせてもらいました。そしてその会社で恋をし、結婚し、子どもを授かりました。超スピードで人並みに自信を取り戻した4年間でした。
同時に、さまざまなことに疑問を抱くようになりました。働くってなんだろう?私は一生ここでこの仕事をするのだろうか?それは私じゃないとできないことなのだろうか?この問いを何度も何度も繰り返し、本を読んでは考え、考えては本を読みました。
大事なものを選び、それ以外を捨てた
2017年。30歳の年に大きな転換期を迎えます。配偶者との別居、そして離婚です。自分の意思で突き進み、怒濤の日々をいろんな人に支えられながらも息子と二人で乗り越えました。とても大変な数ヶ月でした。しかしとても大きな意味を持つ数ヶ月でもありました。この時期に自分にとって本当に大事なものは何なのか、ハッキリと選び取ったのです。それ以外のものは、一旦諦めました。この経験が私を強くしたと思っています。
好きなことをする=納得して生きると決めた
離婚後、元配偶者の勤める会社に自分も勤め続けるのか、ものすごく悩みました。結果、退職し、ずっとやりたいと思っていたことをすべてひとつずつ行動に移していくことに決めました。それが今年の春のことです。いまは8月の終わり。夏が終わろうとしています。2つの季節を駆け抜けてきて、数ヶ月前とは比べ物にならないくらい、恵まれた状況にいさせていただいています。好きなことをして生きたいという思いはすなわち自分の人生を納得して生きたいということだったのだなといま思っています。
自分を好きになるのに必要なこと
こうして書いてみて、これまでのプロセスは他者とのつながりの中に自己を見出だし、また自己を掘り下げることで他者を改めて発見し直すという過程だったのだなと思います。
たぶん、自分を好きになるのに大事なことは、見た目や収入などいわゆるスペックではありません。自分自身と話し合い、自分の大事な人と話し合って、自分で自分に起こるさまざまなことだったり自分が選ぶことだったり、もろもろに対して腹落ちして生きられているか、だと思います。
おそらく、自分の外に正解はありません。少なくとも私はそうでした。判断の基準を自分の中に持つこと、そのためのトレーニングを地道に重ねること、それが自分を愛して自由に生きるために大事なことだと私は思います。
生まれながらに自分のことが好きな人もきっと世の中にはいるのかもしれないな、と思います。でも私はそうじゃありませんでした。とってもネガティブで地味で根暗で自己評価が低かったです。みなさんの中にもそういう人はたくさんいると思います。私はそんな人たちの味方です。心の中で応援しています。面倒かもしれないけれど、きっと大丈夫。めちゃくちゃ自分を好きになる必要はないです。ただあるがままの自分と対話し認めてあげたいな、という気持ちを持ってみてください。そこからきっといまより少し明るい未来がひらけていきます。