ららら、うたおう。
逸枝さんを知っていますか?
彼女は宮崎市と高千穂町を拠点に活動する唄うたいです。私ははじめて彼女の音楽を聴いたとき、その声に惹きつけられました。力強く、それでいて温かい、成熟した女性の唄声なのに、瑞々しさをも感じる。じわじわと、ぞわぞわと、心に響く唄声。私は彼女のライブに行って唄声を聴いた瞬間、鳥肌が立って、何か込み上げてくるものがありました。今回は私が感じる彼女の世界を少し垣間見てもらえたらと思います。
めぐる「いのち」を感じる歌詞
陽がのぼる。君にぼくに朝がくる。
うまれる。君とぼくがはじまる。 (Good Morning)
よく晴れた朝に窓を開けたならこの曲を聴きたい。朝陽、一日のはじまり。そこに「うまれる」という言葉を持ってきてのびやかに歌い上げる逸枝さん。私は音楽にまったく詳しくないのだけど、そんな私でも自然と左右に体を揺すってしまうような軽快な音楽に乗せて、彼女はいのちの喜びを唄います。
ららら、うたおう。声を失う、このかなしみを
うたおう、ここから動き出す君に (Good Morning)
唄うたいをしながら農に触れていらっしゃる逸枝さん。彼女の目に映る世界はどんな景色が広がっているのでしょう。私には見えないもの、それを彼女の唄を通して垣間見たい、と思います。
飯がうまけりゃ、なみだがにじむ
あなたが笑うと泣けてくる
誰かが死んで、誰かが生まれ、
私は命に泣くのです。 (涙で飯を食う日には)
暮しを彩る音楽
魚さばきや、あんこの炊き方
花の名前をたくさん知ってる
そんな貴方にいつの日か憧れを抱きました。 (ばぁちゃんの背中)
「豊かさ」という言葉がこんなに似合う歌詞はないでしょう。食べるための魚を自分でさばくことができること、あんこを豆から炊き上げること、花や植物の名前をたくさん知っていること、どれも私たち現代人が失いつつある豊かさで、それを大事に思っている逸枝さんの思いがここに表れています。
伝わってくる彼女の「歴史」
私が得意の意地を捨て
ひとつ大人になってゆくことは
ばぁちゃん、かぁちゃん、わたしへと
想いつながれてゆくこと (ばぁちゃんの背中)
私が逸枝さんの曲の中で、最初に好きになったのがこの曲です。誰しもが持つ祖母や母への思い。自分のルーツに対する思い。それらが受け継がれ、つながりの中で生きているということ。逸枝さんの曲は、そういう大事なことを思い出させてくれ、思わずじーんと涙がにじんでしまいます。
大地に生きるということ
ここに生まれ ここに育ち
ここで愛され ここを愛して
ここで苦しみ ここで悲しみ
ここで出会って ここで別れる。 (いのち)
私はここを聴いて思わずうわーっと泣いてしまいました。逸枝さんという方は、この土地で暮らしていくという覚悟ができている方なのだなあと。
彼女のライブに来ていた人たちはみんなそれぞれが素敵な方たちばかりでした。雰囲気が、身にまとうものが、発する言葉が、振る舞いが、温かくて優しくて、世界には自己と他者がいて成り立っていることを知っている方たちばかりだと思いました。おひとりおひとりと話したわけではないけれど、私はそう感じました。そしてその方たちが彼女の人間性や音楽性を表しているなあと思ったのです。
そのひとりの方とお話する機会がありました。彼は高千穂で有機農業・無農薬農業を営む青年です。逸枝さんの音楽を聴いていると、その彼や、彼の奥さんと赤ちゃん、そして彼らが大地の上で農を営み暮らす姿が目に浮かんでくるようです。