ライフスタイルが消費の対象になっているという指摘について
最近Twitterをフォローしてひそかに注目していた方が、おもしろい記事を書いていた。
ライフスタイルが消費の対象になっているというのは私も感じているし、多くの方が感じていることだと思う。
私自身のことを書くと、息子を妊娠中だった3年前、いわゆる「丁寧な暮らし」「持たない暮らし」に憧れてそういう本ばかり読んでいた時期があった。でもあるときなんか飽きた。
ある著者の本に出会ったときに、ああ、この人たちはこんな本を書いているけれど、結局「効率化」という価値観の枠の中にいてそこから抜け出せないのだな、と思ったら少し絶望して一気に興味が失せたのだ。
このブログ記事の中にも書かれているように、確かにこういう系の方はみんな同じことを言う。それだけみんながそういう暮らしに憧れているということなのだろう。それ自体はいいことだと私は思う。だが、そういう暮らしを現代で行うことは、多くの場合、現実的ではない。無理が生じる。そしてそこで思考停止してしまうのだろうと思う。
しかし私たちは大人なのだから、現実と折り合いをつけつつやっぱり理想に向かって小さくしかし確実な努力をしたい、と私は思う。ちっぽけな私個人にできることはいまのところそのレベルでしかない。だからきっと私もあの本の著者たちと同じだ。
しかし周りを見渡すと私よりずっとずっとそういう暮らしを現実にされている方がいらっしゃるように感じている。それは確実に私たちの価値観や世界観が変わりつつある証なのではないか。
雑誌にはがんばってほしい。私たちは生きる中で、知ったはずだ。人間は理屈を理解はしても、理屈によって動くことは少ない。おしゃれでたのしそうでかっこよくかわいくて、そういうものに憧れて私たちは動く。だから雑誌にはそういう世界をこれからも提示してほしい。
その上で、このブログの著者の覚悟はすごい、かっこいいなあと思うのです。
自分を嫌いだった私が自分を好きになったワケ
- 外見が美しければ自分のことを好きになれるか?
- いつも問いを投げかけてくれた先生との出会い
- ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在
- 人並みにできるという成功体験
- 大事なものを選び、それ以外を捨てた
- 好きなことをする=納得して生きると決めた
- 自分を好きになるのに必要なこと
外見が美しければ自分のことを好きになれるか?
みなさんは自分のことが好きですか?
いま31歳の私はけっこう自分のことが好きです。私はとても太っていて見た目が良いとはお世辞にも言えないし、バツイチでいまのところパートナーもいないし、収入だってほんとに少ないです。でもいま割と自分が好きです。
10年前、21歳だった私は自分のことが嫌いで自分に自信がまったくありませんでした。いまの私に比べたらとってもスレンダーだったし、恋人だっていたし、国立大学の学生だったのにです。
たぶん、自分を好きでいられるかどうかに外見はあまり関係ないです。いえ、絶対ではないですよ。価値観はそれぞれなので、美醜へのこだわりが強い方にとっては外見はすごく大きなものなのかもしれません。少なくともいまの私にとっては、外見はあまり重きを置く価値ではありません。
自分が嫌いだった私がなんで自分を好きになったのか?今日はそのことを書きたいと思います。
いつも問いを投げかけてくれた先生との出会い
物心ついた頃から私は劣等感の強い子どもでした。その傾向は思春期を迎えるとますます強くなりました。自分に対する自信のなさ、自己肯定感の低さ、人と比べて劣等感を感じるところ。それはもういま振り返ると病的と言っていいほどのものでした。
それがいつ変わり始めたのだろう?おそらく3年前、28歳の頃からかなあと思います。27歳ではじめて正社員として就職をして1年が経った頃です。なあんだ、私は人並みにいろんなことをやればできるんじゃないかと少しずつ自信が出てきていました。
しかし振り返ると、就職よりもっと前に、私が変わり始めた原点があったように思います。
2012年、25歳のときに私は地元・延岡に帰ってきました。帰りたくて帰ってきたのではありません。他にどうしようもなくて仕方なく、とりあえず帰ってきたのでした。当時の私は定職に就いていず、自分が人並みに働くことができるとも思っていませんでした。人とのコミュニケーションもうまくできなくて、口ごもってばかりいたように思います。
そんな私を心配した両親が、いまでも尊敬しているU先生に引き合わせてくれます。先生は、それまで私が出会ってきたどんな人とも違っていました。賢くて自分がある人(というだけではもちろん先生のことを説明することは到底できませんが)というのは先生のような人のことを言うのだと私は感じていました。
その先生とはいまは疎遠になってしまったのですが、先生と出会ってから1年ほどの間はとても密な関係を築かせていただきました。個人的に相談に乗っていただいたり、先生が主催する集まりに呼んでいただいたり、先生のご家族や教え子といっしょに食卓を囲ませていただいたこともありました。
先生には口癖がありました。誰かの話を聞いたあと、本を読んだあと、映画をみたあと、必ず先生は私に「君は何を考えた?」と問いました。久しぶりにお会いすると、「最近は何を考えていたの?」と問うのです。その度に私は自分の考えをまともに言うことができずに口ごもってしまうのでした。先生は、私に「問いを持つ」ということを教えてくれたのです。
このことは後の私にとてつもなく大きな影響を与えました。何をするにも自分の中に問いを持つ習慣がこのときできました。自分を好きになることは自分の考えをハッキリ持つことと無関係ではないと私は思います。問いを持つことが、自分の考えをハッキリさせる第一歩なのです。
ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在
同時期、もう一人、いまも私が恩師と慕う人に出会いました。これも両親が引き合わせてくれた出会いです。その人は私に余計なことは聞かず、訪ねていく私をいつも笑顔で迎えてくださり、優しく包んでくださりました。
その人がかけてくれた言葉でいまもしっかりと覚えているものがあります。当時から私は文章を書くことが好きでした。知性に溢れる随筆を書く大学の先輩や、ユーモア溢れたコラムを書く同世代の人たちを横目に見て、コンプレックスをいっぱいに抱えながら、私もこんな風にかけたらなあと思っていました。そんな私にその人は言いました。「書いてみたらいいじゃない?こうやって立ち止まっているあなたの考えていることを知りたいと思う人はきっとたくさんいるわ。」
その言葉はそのときの私にとって確かな力を持っていました。書こうと思っても何も出てこないほど自分が空っぽだと知っていたけれど、それでも一行でもいいから文章にしようと心がけ、ブログをはじめたのはその頃です。その人はありのままの私を受け入れてくれた人でした。
人並みにできるという成功体験
こうして、問いを持つ習慣とありのままの自分を受け入れてくれる人の存在を手に入れた私は少しずつ前向きに歩み始めました。短時間のアルバイトからフルタイムの正社員に挑戦したのもそのひとつです。
この会社に私は4年ほど在籍しました。その間、本当に恵まれた環境にいさせてもらい、まず私も人並みに働くことができるのだという自信をつけさせてもらいました。そしてその会社で恋をし、結婚し、子どもを授かりました。超スピードで人並みに自信を取り戻した4年間でした。
同時に、さまざまなことに疑問を抱くようになりました。働くってなんだろう?私は一生ここでこの仕事をするのだろうか?それは私じゃないとできないことなのだろうか?この問いを何度も何度も繰り返し、本を読んでは考え、考えては本を読みました。
大事なものを選び、それ以外を捨てた
2017年。30歳の年に大きな転換期を迎えます。配偶者との別居、そして離婚です。自分の意思で突き進み、怒濤の日々をいろんな人に支えられながらも息子と二人で乗り越えました。とても大変な数ヶ月でした。しかしとても大きな意味を持つ数ヶ月でもありました。この時期に自分にとって本当に大事なものは何なのか、ハッキリと選び取ったのです。それ以外のものは、一旦諦めました。この経験が私を強くしたと思っています。
好きなことをする=納得して生きると決めた
離婚後、元配偶者の勤める会社に自分も勤め続けるのか、ものすごく悩みました。結果、退職し、ずっとやりたいと思っていたことをすべてひとつずつ行動に移していくことに決めました。それが今年の春のことです。いまは8月の終わり。夏が終わろうとしています。2つの季節を駆け抜けてきて、数ヶ月前とは比べ物にならないくらい、恵まれた状況にいさせていただいています。好きなことをして生きたいという思いはすなわち自分の人生を納得して生きたいということだったのだなといま思っています。
自分を好きになるのに必要なこと
こうして書いてみて、これまでのプロセスは他者とのつながりの中に自己を見出だし、また自己を掘り下げることで他者を改めて発見し直すという過程だったのだなと思います。
たぶん、自分を好きになるのに大事なことは、見た目や収入などいわゆるスペックではありません。自分自身と話し合い、自分の大事な人と話し合って、自分で自分に起こるさまざまなことだったり自分が選ぶことだったり、もろもろに対して腹落ちして生きられているか、だと思います。
おそらく、自分の外に正解はありません。少なくとも私はそうでした。判断の基準を自分の中に持つこと、そのためのトレーニングを地道に重ねること、それが自分を愛して自由に生きるために大事なことだと私は思います。
生まれながらに自分のことが好きな人もきっと世の中にはいるのかもしれないな、と思います。でも私はそうじゃありませんでした。とってもネガティブで地味で根暗で自己評価が低かったです。みなさんの中にもそういう人はたくさんいると思います。私はそんな人たちの味方です。心の中で応援しています。面倒かもしれないけれど、きっと大丈夫。めちゃくちゃ自分を好きになる必要はないです。ただあるがままの自分と対話し認めてあげたいな、という気持ちを持ってみてください。そこからきっといまより少し明るい未来がひらけていきます。
細胞まで喜ぶ高千穂有機野菜
元気な野菜たち。どれも生命力が溢れています。先日、ご縁があってNOEN5さんから無農薬有機野菜セット(小サイズ)を送っていただきました。確か月曜日に注文して金曜日に届く予定で、その週はこのお野菜たちが届くのを心待ちにして過ごしていました。段ボールを開けたらこんなに生命力に溢れたお野菜たちが!とーってもうれしかったです。
~農園から食卓へ~
各ご家庭と、子や孫の世代へと有機的につながる
これこそ本当の有機農業だと考えています
園主さんから添えられたメッセージからは、有機農業に真摯に向き合う姿勢や園主さんの哲学が伝わってくるようです。
品目説明には品目名だけでなく、調理法や保存方法に園主さんからのコメントがついていて、とても楽しく、また実際に調理する際に重宝しました。
私はまずその日のうちに
- カブ(みやま小かぶ)
- ミズナ(京かなで)
- タマネギ(もみじ)
を使って簡単なサラダを作りました。カブは思わず丸かじり!笑 甘くておいしかったです。ミズナはシャキシャキ具合がスーパーで買ったのと違う気がしました。タマネギには甘さと辛さの両方があり、何より香りがよくて、食べていてとっても嬉しくて、きっと細胞まで喜んでいるなと感じました。
このブロッコリーは茎を食べるスティックセニョールという種類らしく、確かにアスパラに似た甘さを感じます。普段ブロッコリーは茹でてマヨネーズをつけて食べるのですが、これはマヨネーズをつけなくてもブロッコリー自体の味が濃くて甘さを感じました。色も鮮やかで、茶色いお弁当を彩ってくれて、とっても嬉しかったです。
このとってもかわいいツートンカラーのズッキーニはゼファーという品種らしいです。
品目説明に炒めたり揚げたりするといいと書いてあったのですが、冷蔵庫に豚バラのかたまり肉があったので、それをスライスしたものといっしょに焼いて黒コショーをかけて食べました。めっちゃおいしかったです~。お肉もおいしかったんだけど(笑)、ズッキーニはよくあるふつうの緑のズッキーニとは違って、でも大好きなあの食感はそのままで、そのまま甘さとコクがあります。ゼファー大好きになりました!また食べたいな♪
実は実家にもおすそ分けをしたのですが、とっても好評でした。特にダイコンがおいしかったと!大根おろしにして食べたそうで、きっと母は朝から元気が出ただろうと思います。NOEN5さん、ありがとうございます。
ズッキーニは3種入っていて、BOLOGNESEとBENNINGS GREEN TINTというそうなのですが、後者はUFO型で爽やかなライトグリーンのズッキーニで、これまたインスタ映えしそうです!写真を撮り忘れましたが、どちらもカレーに入れたり豚汁に入れてみたり野菜スープにしたり、おいしかったです!スープにして煮込んでも歯ごたえがありました。
NOEN5さんのホームページはとてもおもしろく、読みごたえがあります。
手はじめに、こんな素敵なお野菜をどんな人が作っているのか、見てみましょう。
私この写真すごく好きなんです。園主さんのお人柄がにじみでていて、両手に大切な宝物を抱えて笑っている。「農園について」というタブで園主さんや農園について知れるので、ぜひアクセスしてみてください。
読みもの「食べることのストーリー」もとてもおもしろく、勉強になりますよ。読者のためになる情報をお届けしてくださって、しかも最後に自分の商品に誘導、というわけでもないのでとても好感が持てるし信用できるなと私は感じています。判断は読者に委ねてくださっている、つまり読者を信用していらっしゃるのだなということが伝わってきます。
またNOEN5さんのお野菜を食べるのが楽しみです。
ららら、うたおう。
逸枝さんを知っていますか?
彼女は宮崎市と高千穂町を拠点に活動する唄うたいです。私ははじめて彼女の音楽を聴いたとき、その声に惹きつけられました。力強く、それでいて温かい、成熟した女性の唄声なのに、瑞々しさをも感じる。じわじわと、ぞわぞわと、心に響く唄声。私は彼女のライブに行って唄声を聴いた瞬間、鳥肌が立って、何か込み上げてくるものがありました。今回は私が感じる彼女の世界を少し垣間見てもらえたらと思います。
めぐる「いのち」を感じる歌詞
陽がのぼる。君にぼくに朝がくる。
うまれる。君とぼくがはじまる。 (Good Morning)
よく晴れた朝に窓を開けたならこの曲を聴きたい。朝陽、一日のはじまり。そこに「うまれる」という言葉を持ってきてのびやかに歌い上げる逸枝さん。私は音楽にまったく詳しくないのだけど、そんな私でも自然と左右に体を揺すってしまうような軽快な音楽に乗せて、彼女はいのちの喜びを唄います。
ららら、うたおう。声を失う、このかなしみを
うたおう、ここから動き出す君に (Good Morning)
唄うたいをしながら農に触れていらっしゃる逸枝さん。彼女の目に映る世界はどんな景色が広がっているのでしょう。私には見えないもの、それを彼女の唄を通して垣間見たい、と思います。
飯がうまけりゃ、なみだがにじむ
あなたが笑うと泣けてくる
誰かが死んで、誰かが生まれ、
私は命に泣くのです。 (涙で飯を食う日には)
暮しを彩る音楽
魚さばきや、あんこの炊き方
花の名前をたくさん知ってる
そんな貴方にいつの日か憧れを抱きました。 (ばぁちゃんの背中)
「豊かさ」という言葉がこんなに似合う歌詞はないでしょう。食べるための魚を自分でさばくことができること、あんこを豆から炊き上げること、花や植物の名前をたくさん知っていること、どれも私たち現代人が失いつつある豊かさで、それを大事に思っている逸枝さんの思いがここに表れています。
伝わってくる彼女の「歴史」
私が得意の意地を捨て
ひとつ大人になってゆくことは
ばぁちゃん、かぁちゃん、わたしへと
想いつながれてゆくこと (ばぁちゃんの背中)
私が逸枝さんの曲の中で、最初に好きになったのがこの曲です。誰しもが持つ祖母や母への思い。自分のルーツに対する思い。それらが受け継がれ、つながりの中で生きているということ。逸枝さんの曲は、そういう大事なことを思い出させてくれ、思わずじーんと涙がにじんでしまいます。
大地に生きるということ
ここに生まれ ここに育ち
ここで愛され ここを愛して
ここで苦しみ ここで悲しみ
ここで出会って ここで別れる。 (いのち)
私はここを聴いて思わずうわーっと泣いてしまいました。逸枝さんという方は、この土地で暮らしていくという覚悟ができている方なのだなあと。
彼女のライブに来ていた人たちはみんなそれぞれが素敵な方たちばかりでした。雰囲気が、身にまとうものが、発する言葉が、振る舞いが、温かくて優しくて、世界には自己と他者がいて成り立っていることを知っている方たちばかりだと思いました。おひとりおひとりと話したわけではないけれど、私はそう感じました。そしてその方たちが彼女の人間性や音楽性を表しているなあと思ったのです。
そのひとりの方とお話する機会がありました。彼は高千穂で有機農業・無農薬農業を営む青年です。逸枝さんの音楽を聴いていると、その彼や、彼の奥さんと赤ちゃん、そして彼らが大地の上で農を営み暮らす姿が目に浮かんでくるようです。
「半農半X」をはじめませんか。
より良く生きたいあなたへ
より良く生きたい、だけどその方法が分からない。もっとじぶんらしく生きられないものか。あなたはそう思ったことはありますか。
同級生やあるいは同期などライバルと競争することに疲れたとき、大きな組織の中で生きづらいじぶんに気づいたとき、生きるためにお金を稼いでいるはずなのにお金を稼ぐことが目的になっていることに気づいたとき、消費の徒労感に襲われたとき、じぶんのしていることが環境や次世代に良くないかもしれないと気づいたとき、これってずっと続いていくのだろうかと疑問を持ったとき…。
これはすべて私自身が経験したことです。そのたびに、より良く生きたいものだ、と思い、同時にでも方法が分からないや、と諦めたり逃げたりしてきました。
誰もが持っている「良心」、それを大事にしながら他者を、あるいは自然や環境まで大事にする方法を模索する、そんな方法があるのだよ、と具体的な方法のひとつをこの本は提示してくれます。
「半農半X」ってなに?
あなたは「半農半X」という言葉を聞いたことがありますか。私は知りませんでした。4月に入塾した、非電化工房主催「地方で仕事を創る塾」で藤村靖之先生が少し触れていたことと、最近読んだ池上惇『文化資本論入門』に出てきて知りました。要するに、
小さな農業で食べる分だけの食を得て、ほんとうに必要なものだけを満たす小さな暮らしをし、好きなこと、やりたいことをして積極的に社会にかかわっていくこと
です。
なぜ「半農」なのか
なぜ農業なのか
ひとつは個人的な問題です。より良く生きたいと考えたとき、私の場合、そこには好きなことややりたいことのうち本来的に良いことをして無理せず生きたいという思いが含まれます。そうなると、多く稼ぐことはむつかしそうです。そもそも多く稼ぐことに対する徒労感と向いてなさを感じてしまいます。そこで、前述の願いを達成するには、自給力をつけるのが良さそうだという結論になり、自然と農業にたどり着きます。
もうひとつは社会的な問題です。問題を他者に広げ、社会に広げ、あるいは次世代の社会に広げて考えたときに、持続可能性(サステナビリティ)という視点が欠かせません。持続可能性とは、
生物資源(特に森林や水産資源)の長期的に維持可能な利用条件を満たすこと。広義には、自然資源消費や環境汚染が適正に管理され、経済活動や福祉の水準が長期的に維持可能なことをいう。(コトバンクより)
です。つまり、じぶんたちのしていることは次世代にとってあるいは自然界にとっても良い影響を与えるものかという問いを持つことだと私は思います。いまの私は持続可能性について偉そうに語ることはできません。語るようなことを何もしていないからです。ただ、持続可能性という視点が欠かせないこと、それを考えたときに農業に携わることが良さそうだということは直感的に分かります。
なぜ「半農」なのか
とは言え、専業で農業をするということはむつかしそうです。まったく農業の経験がない人がいきなり農業で食べていこうというのはちょっと考えにくい。でも、一日のうちたとえば半分の時間でも農業に割き、じぶんたちが食べる分だけ生産する、と考えるとそれならできるかもと思える。じぶんたちが食べる分だけで良いのなら、より良い方法で、たとえばなるべく農薬を使わないといったことに挑戦してみようかとも思う。そういうわけで「半農」なのです。
「足るを知る」ということ
自給力をつけて無理のない範囲で稼ぐとなると、必然的に小さな暮らしをすることになります。これまでの消費生活を見直し、価値観の転換を図る必要があります。いわゆる「足るを知る」ということです。でも無理はしないこと。じぶんたちにとってほんとうに必要なものは何か、何があれば満たされるのか、知る作業でもあります。「足るを知る」ということは身の丈に合った生活をするということです。最初に書いた、消費生活への徒労感を捨て去るということ。ここに半農半Xの神髄がある気が私にはします。
「ないものねだり」から「あるもの探しへ」
では、「半X」とは何か。X=天職(calling)です。それは好きなことかもしれない、やりたいことかもしれない、できることかもしれないし、求められることかもしれない。あるいはそれらすべてを兼ね備えたものかもしれません。人生はX探しなのかもしれません。そのときに必要なのが、「なりものねだり」をせずに、「あるもの探し」をするということ。
特に私のように現代の田舎に住んでいると、都市部あるいは都市に隣接した田舎だけが持つ側面にばかり目がいき、ここには何もないと考えがちです。そこは発想の転換が必要です。本書に出てきた文章で大いにうなずいた部分を引用します。
金が第一義の経済活性化では都市の豊かさしか見えず、地域は「ないものねだり」をするしかないが、金以外の自然風土、生活文化、コミュニティ、金にあくせくしない生き方など、地域に多様にあるものの価値に目を向け、掘り下げれば、地域固有の豊かさが見えてくる。
これは農文協『増刊現代農業』編集主幹の甲斐良治さんが書いた文章だそうです。「半X」探しだけでなく、まちづくりにおいても大事な視点ではないでしょうか。
「自己探求」の観点からのまちづくり
この本の著書・塩見直紀氏は「自己探求」の観点からのまちづくりがしたいと書いています。この視点は私にとって地元のまちづくりに一市民として関わるために大きな示唆を与えてくれました。まちづくりとは、市民ひとりひとりがじぶんの生き方を改めて問い直すことがいちばんの近道なのではと私は思い始めています。
まずは家庭菜園から
少し話がそれましたが、まずできる範囲で「半農」の一歩を踏み出したいと思っています。あなたもいっしょに家庭菜園をはじめませんか。私は今回、プランター栽培ではなく、実家の庭を借り、土を耕して石灰をまくところからはじめるつもりです。いきなり「半農半X」を完全に行うことはできなくても、できるところから無理なく取り入れてみるのはいかがでしょうか。
かっこいい生き方
あなたにとって「かっこいい生き方」とはどんな生き方ですか。身近にいる「かっこいい生き方」をしている人は誰ですか。どんな生き方がしたいとあなたは思いますか。
シゴトとヒトの間を考える 01―シゴトヒトフォーラム2012 (シゴトヒト文庫)
- 作者: ナカムラケンタ,友廣裕一
- 出版社/メーカー: シゴトヒト
- 発売日: 2012/08
- メディア: 単行本
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この本には9名のかっこいい人たちが出てきます。その中から今回は3名のエピソードを紹介します。
カンボジアで暮らす女性
この女性は、カンボジアが好きで、日本の企業に就職が決まっていたにも関わらず、カンボジアから仕事のオファーがあった途端、カンボジアに行くことを即決しました。仕事のオファーと言っても、「今まで誰もやっていない仕事だから、給料が出るかわからない」と言われたにも関わらず、即答で「それ絶対やります!」と言い、日本の企業に断りの電話をしたと。
最高にクールだなと思ったのには理由があります。まず、彼女はじぶんにとって大事なものをじぶんで分かっていたということ。それには大好きなカンボジアとの対照として、ヨーロッパに行ったときの感覚、とても美しいけど自分がそこにいることが想像できないと感じたことがあったからこそなんだろうと思います。いろんなものを見て回ったからこそじぶんの好きなもの、じぶんに合うものを見つけられたんだろうなあ。そしてそれに人生をかけることはお金よりも尊いと知っていたこと。その上でじぶんの感覚を信じて行動に移したこと。これは誰にでもできることではありません。たいていの人は日本的な考え方や慣習にとらわれてしまってなかなかそこから自由になることができない。彼女自身、こう言っています。
日本社会の中にいたときは、ここから先にいったらドロップアウト、みたいな柵がたくさんあった気がするんですよね。その柵を越えないように必死だったと思うんです。でも、カンボジアで生活していると、それは日本的な考え方だなって気づく。(中略)
場所が変われば、価値観は当たり前に変わっていくし、良いこと、悪いことは他人には決められない。そう考えていくと社会はカオスになるんですけど、その中で、自分が信じているものとか、大事にしたいものとかを、つなぎ合わせていくような生き方を思います。
彼女のスケールはおそらく日本よりも大きく、そして彼女の「好き」は理屈を超えるものだったんだろうなと私は思います。
ベトナムで暮らす男性
しょーもないなりに、できることはないかなという気持ちもあって。仕事ができないからクビになった自分が、さらに仕事ができないベトナムで仕事をつくれたら、それっておもしろいんじゃないかと思ったんですよね。
この男性は新卒で入社した会社をおそらくリーマンショックの影響でリストラされます。その後、すぐにでも転職活動をすべきだったと思うけど、それは絶対にやめようと思っていたと。なぜなら、その道を選んでしまうと、同じことのくり返しになってしまうからだと。これは誰にでも決断できることではないと私は思います。多くの人は、同じことのくり返しになってしまうとは薄々気づいてはいても、忙しさの中にじぶんをごまかしたり経済的な理由のせいにして見て見ぬふりをすることが多いのではないのでしょうか。だけど彼はそれだけはしなかった。
それは彼には根拠のない自信があったからじゃないかと私は思います。あるいは自信というよりは、自分はリストラされるような「しょーもないヤツ」だけど、生き方はひとつではない、何かやったるぞ、という決意だったかもしれません。それは彼がリストラと言う結果には終わったものの、一所懸命生きてきたからにほかならないでしょう。
そして何より彼がかっこいいのは、「それっておもしろいんじゃないかと思った」と言っているところです。こんな風に発想の転換ができて自分に起きた事態をおもしろがれる人は強いなと私は思います。だからこそじぶんにとってのチャンスがめぐってきたときにそのチャンスを掴めたのだろうなと思うのです。
自分の年齢より半分の年齢の若者に教えを乞う50代
自分よりふた回り以上下の年齢の若者を「師匠」と呼び謙虚に教えを乞える方はどのくらいいるでしょうか。この男性は「師匠」との出会いをこう語ります。
彼の話を聞いた瞬間にもう、自分の価値観を180度変えるしかないな、生き方を変えよう、と思いました。(中略)この人が師匠だ!と決めて、彼のいくところには全部ついていくことにしたんです。
年齢が上だというだけで若い人に対して偉そうに振舞ってしまう人は日本にはたくさんいる気がします。私にもそういう部分があるかもしれません。彼は年齢というフィルターを通してその人を見るのでなく、相手がどういう人間なのかという見方をしていたからこそ、師匠と呼べる人に出会えたのだと私は思います。
いかがでしたか。あなたが「かっこいい」と感じるポイントはありましたか。それともじぶんにとっての「かっこいい」は少し違うと思われたでしょうか。
この『シゴトとヒトの間を考える シゴトヒトフォーラム2012』は、豊かでかっこいい生き方をしている方たちがどんな風に考えてどのような経緯でどんな仕事をしているのか垣間見ることができます。彼らがどのように生きてどんなことを目指しているのか、それに触れるだけでも、私たちの人生が少し変わるかもしれません。
『計画と無計画のあいだ』はじぶんらしく生きる人の応援書でした。
「分岐点」というものに関心を持っていた時期がありました。人が何かを選択するとき、決断するとき、どんなことを考え感じているのだろう。そのことがとても知りたいと思っていました。そして実際に、私は少し前に分岐点に立っていました。そのことについて書こうと思います。
じぶんの道を選ぶ
退社を決めたあの日から世界がきらきら輝いて見えるようになった
目の前には驚くくらい前日までと違う光景が広がっていた。目にする草木はもちろん、空気さえもキラキラと輝いて目に飛び込んでくる。自転車では何度となく通っても特に何も感じることはなかった都内の道も、急にいとおしく思えてくる。
これはミシマ社代表の三島邦弘さんがミシマ社について書いた本『計画と無計画のあいだ「自由が丘のほがらかな出版社」の話』の中で、勤めていた会社を辞めて出版社をつくることを思いついたときを振り返って書いているものです。
計画と無計画のあいだ: 「自由が丘のほがらかな出版社」の話 (河出文庫)
- 作者: 三島邦弘
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2014/08/06
- メディア: 文庫
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会社を辞める、というときは経済的に準備が整い、次の仕事を決めてからやめなければいけないとずっと思っていました。私はそのどちらも整わないまま辞めるのだけれど、辞めるという決断をしてからずいぶんとスッキリしました。ずっと辞めたかったし、もうじぶんを偽って合わないものに合わせようとする必要がないんだ、と思い、まだ見ぬ未来の可能性と自由さを思いました。あの日から私の目に映る世界はきらきらと輝いたものになりました。
三島さんの本を読んで、その私の体験は私に固有のものではないと知りました。じぶんの生きる道をみずから選んだ人たちはきっと誰もが経験するのだろうと思います。三島さんはこう続けます。
そしてぼくはやがて気づく。これは、なにも特別な景色ではない。むしろ、こっちがふつうなのだということを。(中略)出版社をつくると決断した瞬間、ぼくは世界とのつながりを回復した。
私にとって会社はじぶんが正直に生きられる場所じゃなかった
三島邦弘さんは、ミシマ社をつくる前に会社に勤めていたじぶんを形容して「失語症」という表現を使っています。
見事なばかりに水が合わず、(中略)退社直前のころは、失語症みたいになっていた。
私にとって会社とはじぶんが正直に生きられる場所ではありませんでした。正直に生きようとすると必ず摩擦が生じてしまう。それをなんとかしたいと思ってもがこうとするけれど、いっそうぎくしゃくしてしまって、伝えたいことはあって一所懸命伝えようとするのに相手に伝わっている感覚がまったくしない。疎外感を感じ、もやもやとした思いが募る日々でした。
だから、会社の外で人と「分かり合える」という体験をしたとき、ものすごくうれしかった。生きている感覚がして、私はこの世界に生きたいと思いました。そして会社を辞めることを決断し、三島さんが言うように「世界とのつながりを回復」するのです。
みずからを縛っていたじぶんに気づいた
振り返ると、会社勤めをしていたころの私はずいぶんと「~ねばならない」「~べきだ」という観念に縛られていたように思います。「次の段階への準備が整ってから会社は辞めなければならない」「子どもがいるなら教育費などを計画的に積み立てなければならない」など、誰に言われたわけでもないのに、じぶんでじぶんを縛っていました。
あのとき、知らず知らずにつくっていた自分を封じ込めている檻を、自身の手によって壊したのかもしれない。そして檻の外に出て初めて気づいたことがある。それは、「決め事」という檻は自分を守るためにあったわけではないということだ。守るどころか、実際には、その中でぼくは生きながらにして死んでしまうところだった。誰に課せられたわけでもなく、自らがつくった檻の中に自らを閉じ込めて。
私たちは無意識のうちにがんじがらめになっています。 レールに乗って生きねばならない、安心や安定を手に入れて堅実に生きなければならない、それこそが大人だ、そんな無意識な刷り込み、思い込みが私にもありました。
システムが担保する安定と保障というものたちは、虚構にすぎない。(中略)安定など幻想でしかないのは明らかだ。
私は会社を辞めたことで安心や安定を捨てたと思っていました。でもそうじゃなかったんだ。あると信じていた安心や安定は「虚構」であり「幻想」でしかないのだと。自分ではないほかの誰かがそう断言してくれていると知り、大いに腑に落ちるとともにうれしかった。私はこの先ずっと、心の底からじぶんの選択を肯定し続けると思います。
先人に学ぶ
100年先を見通す
ここまでは、三島さんの文章に共感したお話。でも三島さんと私が違うのは、私はまだ何も成し遂げていないということ。そんな「これから」な私にとって、三島さんの本は学びの多いものでした。たとえば、この本を読んで感服したことがあります。
まずは100年つづけるためにはどうすればいいか。
このフレーズを読んだ瞬間、すごいな~と心から感服して尊敬の念がため息としてこぼれました。目先の利益追求などではなく、長い目で見て考える。そういえば、そうだよな。私が会社を辞められたのも、長期的な視点で人生を考えたことが大きいです。人生100年時代と言われる今日、目先の生活だけに追われて日々を消費しつづけて、果たしてそれでよいのか。もっと長い目で見て大きく捉えることが大切ではないのか。この視点が選択を後押ししてくれました。
三島さんがミシマ社を設立したのは2006年だったので、2106年のミシマ社を思い描いたそうです。そして、その100年後になっていたい理想を実現するにはどうするか。
「できるだけ小さな規模」で運営していく
また感服のため息がこぼれました。規模が大きくなると、その分だけひとりひとりの持つ熱意や関わるものに対する責任感がどうしても薄れがちだなと経験を通して感じてきました。ひとりひとりが「自分事」として目の前のことに取り組むためにも規模を大きくし過ぎないということは大きな作用をもたらすのでしょう。私は会社を辞めると決め、方向性はなんとなく定まっているものの、具体的なことはまだ何も決まっていません。学び、考え、行動するときにこの視点を私も忘れずに持っていたいと思います。
人間を信じる
ミシマ社の方針はかっこいい。出版社としての目標を前述のように「規模」におかず、「一冊入魂」で勝負すると。
ターゲットを設定しない。人間を信じる。
世の中はマーケティングであふれています。私はそのことに対して無知だけど、売上を上げるためにターゲットを設定して顧客の求めるものを提供する、ということだと理解しています。私はいままでそういう考え方をあまりしてきませんでしたが、「ひらく図書室」をはじめるにあたって、必要なことなのかなと思って考えたりもしました。でも、なんだかしっくりこない。そのままうやむやにしていたけれど、この1行を読んでこれだ!と思いました。
本質的に面白いものは、世代や性別や時代を超える。
人と付き合うとき、世代や性別や時代を参考にはするけれど、いちばん大切なのは目の前にいる人がどういう「人間」なのかということ。だったらターゲットは人間すべてでいいじゃないか。たとえ相手が何歳でも性別が何であろうとも生きている時代が異なっていようとも、その人が何を考えてどうやって生きていてどういう人間なのかに興味があります。そういう姿勢で人と付き合っていきたいし、「ひらく図書室」でも「のべおか読書会」でもその姿勢は貫きます。
「どうしたら喜んでもらえるか」
「どうしたら売れるか」ではなく、「どうしたら喜んでもらえるか」という問いをたてること。(中略)ものづくりの原点はあくまでも、「喜び」を交換することにあるはずだ。
じぶんで仕事をつくる、と言ったときに、「ビジネス」というものが頭に浮かびます。ということは、何かを売って代わりに何かを得るということか。じゃあじぶんが売りたいものはどうやったら売れるかな。多くの人はそう考えがちです。私もそうでした。でもそうじゃないんだ。根本として「相手を喜ばせたい」という精神を持っていると自分も相手もたのしいだろうな。そっか、それが愛を持って生きるということなのかもしれない。私が尊敬するあの人も大好きなあの人も愛に満ちている。「無私」であることはむずかしいことだと思い込んでいたけど、「どうしたら喜んでもらえるか」と考えることなら私にもできそうだし、すごくたのしそうだな。
じぶんの感覚を信じる
私は会社員を辞めるけれど、先のことが決まっていません。なのに、不思議と不安があまりないです。期待感やわくわくがいっぱいあって、希望に満ちています。なんでなんだろうな、と不思議に思っていました。そんな私を三島さんが肯定してくれたように思います。
いま、この瞬間、どうしても動かなければいけない。そういうときが人生のうちに必ずある。その瞬間、理屈や理性、計画的判断といったものを超えて動くことができるかどうか。
そっか、私にとって、会社を辞めると決めたときがその瞬間だったのだな。自由に、感覚にしたがって、たのしんで生きている方がこの日本にいらっしゃるんだな。そう思ったら勇気と力が湧いてくるようです。
もともと人生なんて初めての連続ではないのか。
私には2歳の息子がいます。息子といっしょにいると、私もいままでたくさんの「はじめて」を積み重ねて生きてきたことが分かる。だったら、31歳になったいまもはじめてに挑戦してみよう。わくわくする気持ちを携えて、たのしく生きよう。
『計画と無計画のあいだ』は私にとって、少し先にじぶんらしく生きることをはじめた人からの人生の応援書でした。読み物としてすごくおもしろいのでぐんぐん引き込まれて読み進めてしまうし、心から人におすすめしたい1冊です。ミシマ社の本をもっと読みたいし、いつか三島邦弘さんにもお会いしたいなと私の夢がまたひとつ増えました。